ビートルズの音楽を、彼らを知っていますか?
私が初めてビ−トルズの音楽を聴いたのは、今から25年
以上も前のことです。
当時大学生だった私は、中学生の男の子の家庭教師をして
いました。その子がレコ−ドを貸してくれたのがきっかけ
でした。歌詞の意味ははっきりわからなくても、伝わって
くる音楽はとても心に響きました。 その男の子も父親の転勤で遠くに行ってしまい、その後 会っていません。その子のお母さんからの年賀状で、近況を 知るばかりです。今は幸せな結婚をして、よきパパになった そうです。 ビ−トルズの曲は今でもたまに聴いています。聴くたびに 自分の青春時代を思い出します。 ビ−トルズの公認ホ−ムペ−ジができたそうです。2000年 11月13日開設です。国内初の開設で、国際的にも数少ないこと なのだそうです。ビ−トルズをより多くの人たちに知ってもらい、 二十一世紀へと継承していくのが目的です。メンバ−の公式プロ フィ−ル、関連ニュ−ス、クイズコ−ナ−、HPにアクセスした人が 最も好きなビ−トルズ曲を投票し、ベスト二十までが表示される 参加型ランキングなどいろいろあります。ビ−トルズの好きな人は 是非ホ−ムペ−ジをのぞいてください。 http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/ (2000.9.10) |
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雪虫って知っていますか?北海道以外の人にはなじみがないと
思います。白い綿毛におおわれた小さな虫です。初雪の降る少し
前になると決まってフワフワと飛んでいます。雪虫を見かけたら、
もう雪の季節なのです。 小さい頃はたくさんの雪虫を見たものです。赤い服を着て走る と、胸のあたりが白くなるほどくっつきました。今は自然が少なく なったせいか、以前ほどたくさんいなくなったような気がします。 なんだか寂しい気がします。 (2000.9.18) |
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毎年夏、家族3人または、ゆこりんの友達の家族4人との計7人で
キャンプをしています。に何度も行けませんが、家族で行う行事と
して続けています。 キャンプに行くと、テレビも新聞も何も無い世界で、あるのは自然 だけです。夜の、まるで頭上に降り注ぐかのように見える星々も圧巻です。 北海道の夏は短いので、思いっきり楽しむようにしています。 (2000.9.24) |
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相田みつおさんの言葉には、私達の心に響くものがあります。
迷い、悩み、苦しみの中から生まれた言葉は、心から心へ直接
伝わって来るようです。 落ち込んでいる時、ちょっぴり憂鬱な時など、心の元気が 足りないな、と思った時、相田さんの言葉は乾いた地面が水を 吸うように心にしみてきます。私の心の元気のエネルギ−です。 一度、読んでみてはいかがですか? (2000.9.25) |
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父が突然この世を去って、早いものでもう30年になります。
私が中学3年の秋のことでした。38歳という若さでこの世を
去っていってしまった父・・もっともっとやりたいことがたくさん
あったのではないでしょうか? 残して逝く者も、残される者も、どちらも本当に切ないものです。 今、父が生きていたらどんな話ができたのかなと、時々考えます。 昭和一桁生まれで、ちょっぴりガンコものだった父。あまり 甘えた記憶はないけれど、父の私達家族にたいする愛情は 確かなものでした。 父より年上になってしまいましたが、これからも人生を大切に して毎日がんばっていこうと思います。 (2000.9.27) |
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主人と結婚して、丸20年になりました。恋愛期間を含めると、
もう24年も主人とつきあっていることになります。
結婚したばかりの頃は、20年なんてず〜〜っと先のことだと
思っていました。月日のたつのは早いものです。
主人はいつものように、大きな花束を私に贈ってくれました。 毎年、結婚記念日に思うことがあります。それは、また新たな 気持ちで主人を見つめていこう、ということです。 なんだかんだといっても、お互い、この人と一緒に人生を歩んで いこうと決めたのです。「初心忘れるべからず」です。 あと2年半もすれば、息子は高校を卒業して、家を離れて進学する ことになるでしょう。また夫婦二人きりの生活になります。 思いやりの心を忘れずに、これからも二人仲良くしていきたいと 思います。 (2000.10.1) |
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たしか、小学校の4年生の時だったと思います。学校の図書館で
このシリ−ズの本を見つけました。動物が好きだった私は夢中で
次々読みました。「オオカミ王ロボ」「灰色熊の一生」「ギザ耳
うさぎ」などなど。 しばらくこの本のことは忘れていましたが、息子が小学生の時に 学校の図書館から「シ−トン動物記」を借りてきました。 その時、約30年ぶりに懐かしくこの本を手に取りました。 一生懸命「シ−トン動物記」を読む息子を見て、いい本はいつの 時代になってもきちんと残っているものなのだと、つくづく思い ました。 (2000.10.6) |
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息子が一歳半の時のできごとです。デパ−トのおもちゃ売場に、
主人と私、そして息子の3人で出かけました。
主人がトイレに行っている時です。ブロックで遊んでいた息子の
姿が突然消えました。他の子の作っているものをちらっと見て、
ほんの10秒くらい目を離した間にです。
一瞬、神隠しにでも遭ったような気分でした。 戻ってきた主人と2人で一生懸命探したら、なんと1人で エスカレ−タ−に乗り上の階へ行っていました。 ブロックの遊び場はエスカレ−タ−のすぐそばにあり、1人で ポンと飛び乗ってしまったのです。 私が振り返った時にはまだエスカレ−タ−に乗っている所 だったのでしょうが、背が小さいものだから頭も見えず、 わからなかったのです。 主人が見つけて声をかけると、寄って来るどころか逃げた そうです。私はてっきり親を探して泣いているものだと思って いたのに・・・。 それ以来、たとえ10秒でも絶対息子から目を離さないように 気をつけました。子供の行動は親の想像を超えるところが あります。小さいから絶対1人ではエスカレ−タ−に乗れない だろう、という親の思いこみが失敗でした。 「血の気が引く」という思いを初めて体験した出来事でした。 (2000.10.19) |
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ビ−トルズ初の公式サイトが今月13日からインタ−ネット
上に登場することになりました。ファンが運営するものはたくさん
ありますが、元メンバ−も認めるものは初めてです。 1年前から準備を進め、ポ−ル・マッカ−トニ−ら元メンバ− 3人と故ジョン・レノンの夫人、オノ・ヨ−コさんがアイデアを 出し合ったそうです。どんなホ−ムペ−ジなのか楽しみです。 でも、もしかしたら英語のホ−ムペ−ジかな? 何十年経ってもビ−トルズの曲は世界中の人に愛されて いるんですね。我が青春のビ−トルズ。これからも1ファンで あり続けたいと思っています。 http://www.thebeatles.com (2000.11.4) |
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30年以上経つのに、目に焼き付いて忘れられない事があります。
私が中学生の時です。目の前で、白い小型犬が車にひかれ
たのです。はねとばされたのではなく、タイヤの前輪と後輪で
ひかれ、それはまるで白い丸太が、ゴロゴロと転がっている
ようでした。 その犬は野良犬でした。でも、私を含め近所の人がいつも かわいそうに思い食べ物を与えていました。当時、私の家には 猫が3匹いてとても犬まで飼える状態ではありませんでした。 車にひかれたその日も、その犬は家の前をウロウロしていました。 その犬を見ながら、私の母や、近所のおばさん達が「いつも この辺をウロウロしているし、だれも飼ってくれる人がいなくて、 困ったものだ。」というようなことを話していました。 その横で、私達子供とその犬は遊んでいたのですが、なにかの 拍子に、犬が車道の端の所へ出てしまいました。 運の悪いことに、そこへ車が走ってきたのです。普段はそんな 端の方を車が走るわけはないのですが、歩道で話している 人の中に、車の運転をしていた人の知り合いがいて、それで 「プップッ−」とクラクションを鳴らしながら、歩道の方へ ぐっと近寄ってきたのです。 そこへたまたま犬が飛び出しました。本当にあっという間の 出来事でした。ひかれた直後、「キャンキャン」と泣きながら、 自分のしっぽを追いかけるようにくるくる2〜3回まわると、 口から血を流し倒れてしまいました。驚いた母は、たまたま 自分の家のすぐ前だったので、すぐ獣医さんに電話するため家に 飛び込みました。獣医さんはすぐ来てくれました。しかし一目見て、 「これは助からないですよ。安楽死させてはどうでしょうか?」と 言いました。「安楽死」の意味が最初はわかりませんでした。 でも、その意味を聞かされた時、とてもショックを受けました。 さっきまで元気に遊んでいた犬が死んでしまう!薬で殺されて しまう!「何とか助けられないの?」そう言ってみましたが、 それは不可能なことでした。そうしてその犬は獣医さんに抱かれ、 連れて行かれました。 家の中に入り私は泣きました。あの時ふざけて犬と遊んで いなければひかれることはなかったのではないかと、自分を 責めました。 今でもあの時と同じような白い犬を見ると、そのことを思い出し、 胸が痛くなるのです。 (2000.11.14) |
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