*2012年*
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64
横山秀夫
☆☆☆☆
「未解決誘拐事件を長官が視察」という難題が持ち上がった。
今では”ロクヨン”と呼ばれる誘拐事件は、14年前に起こった。
誘拐された7歳の少女は犯人に殺害され、無残な姿で発見されたのだった。
「なぜ今になってロクヨン視察が?」誰の胸にも疑問が浮かぶ。
実は、その視察には重要な意味があったのだが・・・。
容疑者の匿名問題をめぐって報道関係者と警察の対立が起きる。そんな最悪の
状況の中で突如持ち上がった未解決誘拐事件の長官視察。長官はロクヨンのことを本当に
真剣に考えているのか?いや、そうではない。そこに見えるのは警察内部の事情だった。
だれも事件のことを真剣に考えていない。考えるのは、自分の保身や体面を取り繕うこと
だけだ。遺された被害者の家族は、どれほど警察に失望感を抱いたことだろう。それだけに、
被害者家族の描写は読んでいて切ない。どんなに月日が経とうとも、色あせることのない
悲しみがそこには渦巻いていた。読んでいて、その悲しみが生み出す執念に圧倒された。
この作品の中には実にさまざまな伏線がある。長くて途中読むのに飽きてしまった時も
あったが、後半は一気だった。さまざまな伏線は、やがてラストを鮮やかに彩る。この
結末にたどりつけて本当によかった。見事な締めくくりだと思う。
これだけの長さが本当に必要だったのか、疑問は残る。でも、読んだあとの充実感は
格別のものがある。面白い作品だった。
ゴルディアスの結び目
小松左京
☆☆☆
かつて「部屋」だったものは、今や直径25センチの球体になってしまった。
しかもそれは、さらに縮み続けている。誰にも止めることはできない。
この中には、ふたりの人間がいたのだが・・・。そのふたり、少女マリアと
伊藤にいったい何が起きたのか?表題作「ゴルディアスの結び目」を含む4編を
収録。
日常生活に繋がる非日常。人間の営みと宇宙の関係。そして宇宙の真理。作中の登場
人物が滔々と語るそれらは、神秘的で不思議な魅力に満ちている。この作品の中の4編
すべてが、驚きの発想で描かれている。一歩間違えば突飛な発想になってしまうかも
しれないが、作者は実に巧みに、興味深く面白い話に仕上げている。4編の中で印象に
残ったのは、表題作の「ゴルディアスの結び目」だ。少女の心の中に異空間が存在し、
それが宇宙と繋がっているという設定は驚きだ。作者は、広い視野で人間や宇宙をとらえて
いる。日常のささいなことで悩んでいる自分が、ちっぽけな存在に思えてしまう。
1977年に出版された作品だが、今でも充分に通用する内容だと思う。理解しがたい
ところも少なからずあったが、小松左京をより知ることができ、読んでよかったと思って
いる。
敗者の嘘(アナザーフェイス2)
堂場瞬一
☆☆☆
神田の放火殺人事件の容疑者が自殺してしまった!だが、突然犯人が名乗り出た。
名乗り出たのは、篠崎優という女性弁護士だった。彼女の意図はいったいどこに
あるのか?元の上司福原の命令で、大友はこの事件にかかわることになるのだが・・・。
アナザーフェイスシリーズ2。
神田の放火殺人事件の容疑者の渋谷は、本当の犯人ではなかったのか?名乗り出た
篠崎の真意がどこにあるのか、大友には見当もつかなかった。だが、真実に見える
嘘には、必ずどこかに綻びがある。地道な捜査、そして大友の能力が、渋谷や篠崎の
人間性を浮かび上がらせ、同時にその綻びを見つけ出していく。けれど、事件の真相が
明らかになっても、大友に喜びの表情は見えない。むしろ、ほろ苦い想いだけが増して
いくように見える。事件を解決するためでも、やってはいけないことがあるのだ。
そのことが見えなくなったとき、悲劇が生まれる・・・。
真実に見えたものが嘘で、嘘に見えたものが真実という面白さはあった。大友の苦悩や怒りも
よく描かれていたと思う。また、大友の息子優斗への父親としての描写も心打たれる
ものがあった。ラストはそれほど意外性はなかったが、よくまとめられていると思う。
オレたち花のバブル組
池井戸潤
☆☆☆
巨大損失を出した老舗の伊勢島ホテル。その再建の仕事が、突然東京銀行の半沢に
回ってきた。本来は法人部の管轄であるはずの仕事なのだが、頭取の命令による
ものだった。失敗は許されない。はたして、解決策はあるのだろうか・・・?
エリートコースを歩いてきた半沢にとって、伊勢島ホテル再建の仕事の是非は、今後の
銀行生活を左右するくらい重大だった。金融庁の検査という超難題もあり、まさに
絶体絶命の状況だ。解決策はあるのか?その鍵を握るのは、半沢の同期で病気により
出世コースを外れた近藤だった。近藤は、銀行員としてのプライドや半沢たち同期の
友情を心の支えとして、出向先で孤軍奮闘の日々を送っていた。そして、近藤の奮闘が
半沢の仕事にも深く関わってくる。同期のピンチを同期が救う。巨大な組織の中でひとり
ひとりの存在は小さいかもしれない。けれど、仲間が集まれば、不可能を可能に変えていく
こともできるのだ!ラストは、現実の厳しさの中にもほっとするものがあり、とてもよかった。
金融庁と銀行の対決も読み応えがあり、楽しめる作品だと思う。
しあわせなミステリー
アンソロジー
☆☆☆
伊坂幸太郎(第5回本屋大賞受賞、第21回山本周五郎賞受賞)、中山七里(第8回
『このミス』大賞受賞)、柚月裕子(第7回『このミス』大賞受賞)、吉川英梨(第3回
日本ラブストーリー大賞エンタテインメント特別賞受賞)ら人気作家が描く「人の
死なないミステリー」4編を収録。
まず、伊坂さんの「BEE」。殺し屋の男の日常生活が描かれているが、彼の非情な
仕事と日常生活のギャップが面白かった。ハチ退治に悪戦苦闘する男の姿から、いったい
誰が彼を殺し屋だと思うだろう。また、完全防備でスズメバチと格闘する男の心理描写は
読んでいて楽しかった。伊坂さんらしい作品だった。
「二百十日」は、産廃処理施設の反対運動と、忽然と姿を消した慰霊碑の謎をからめた
作品だが、過疎化に悩む人々の苦悩も描かれていて興味深いものがあった。
「心を掬う」は、この本の中で一番強く印象に残った話だった。時代設定は今とは
違い水洗トイレが広く一般に普及していない頃だが、その状況をうまく生かした楽しめる
内容だった。ここに登場する佐方を主人公にした「佐方貞人シリーズ」もあるとのことで、
そちらもぜひ読んでみたいと思う。
「18番テーブルの幽霊」は、予約されるのに予約者が現れない18番テーブルの謎を
めぐるさまざまな人間模様がよかった。人が人を想う・・・。そのことにも感動した。
いろいろな趣の話が楽しめて、まあまあ満足できる作品だった。
夜の国のクーパー
伊坂幸太郎
☆☆☆
「仙台の港から小舟に乗り、釣りに出かけたはずだったのに。」
気がつけば仰向けになったまま体を縛られていた。そこへ現れた猫のトム。彼は
人間の言葉をしゃべる猫だった。8年間の戦争を終えたトムの住む国では、いったい
これから何が起きようとしているのか?トムは、語り始めた・・・。
戦争が終わり鉄国の兵士たちがやってきた。彼らはトムの住む国の支配者である
冠人を殺害した。国家存続の危機に直面しても人々はどうすることもできない。
支配する側とされる側。力の差は歴然だった。このまま鉄国の兵士たちの言いなりに
なるのか!?誰かが叫ぶ。「クーパーの兵士がいてくれたら!」けれど、本当にクーパーは
存在するのだろうか?
この作品はファンタジー?それとも大人の童話?作者の独特の感性が織り成す世界は、
独自の色彩を帯びている。強者と弱者の微妙な関係。それは人間だけではない。猫と
鼠の世界にもあった。それらふたつの関係は、とてもよく似ていると思う。いつだって
世界は誰かの犠牲の上に成り立っているものなのだ。「クーパーは、存続の危機にある
国を救う存在となるのか?」ラストは意外な展開となる。仙台の釣り人が結末にどういう
ふうに絡んでくるのかが想像できてしまったが、それでもほほえましく読むことができた。
クーパーは、トムの住む国において、今までとは違う新たな伝説になった。読後は爽快さを
感じた。作者の熱い思いが込められた、不思議でふんわりとした作品だった。
ソロモンの偽証 第V部 法廷
宮部みゆき
☆☆☆☆
ついに学校内裁判が始まった!さまざまな人物の証言から、しだいに今回の事件の
真相が明らかになっていく。涼子が最後に証人申請した人物が証言台に立ったとき、
そこにいたすべての者たちに衝撃が走った。この裁判が行き着く先には、いったい
何が待ち受けているのか?
学校内裁判では、さまざまな人たちが証言台に立った。中には、絶対に証言しないだろうと
思われていた者もいた。彼らは、いろいろな角度からこの事件について語り始める。
そして、柏木卓也の人物像も徐々に明らかになっていく・・・。
法廷内での緊迫したやり取りは、中学生が行っている裁判だということをしばし忘れさせる。
まるで本物の裁判かと思ってしまう。はたしてこういう裁判が中学生に可能かと少々疑問に
感じるが、私個人としてはやはり中学生でなければならなかったのだろうと思う。子供以上
大人未満の中学生だからこそ、物事を純粋に受け止め、大人とは違って打算のないストレートな
感情を出すことができるのだと思う。
最大の関心事は、「この壮大なストーリーを作者は
どう完結させるのか?」ということだった。中学生の彼らを傷つけずに、この裁判を終わらせる
ことが可能なのか?途中からずっと謎だったある少年の行動や、そこに隠された事件の
真相。それらをどう収束させるのか?不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで読み進めた。
そしてラスト!それは、読み手の期待を裏切らない感動的なラストだった。
単行本3巻、2000ページ以上の超大作だった。だが、のめり込んだ。長さはまったく感じ
なかった。これほど夢中にさせてくれる作品はめったにない。読後感もよかった。つらい事件を
乗り越え、成長していく子供たち。彼らの未来が、輝きあるものでありますように。
ソロモンの偽証 第U部 決意
宮部みゆき
☆☆☆☆
藤野涼子が決意する。「真相を究明するために学校内裁判を開廷する!」
その決意は周囲の者たちを驚愕させた。柏木卓也の死は自殺か?それとも、
告発状に書かれていたように大出俊次に殺されたのか?他校の生徒だが、
卓也の塾での友だちだったという神原和彦が弁護人に名乗り出た・・・。
学校内裁判。それは体裁や体面ばかりを考える学校にとっては好ましくない
ことだった。阻止しようとする学校側とあくまでも真相を追究しようとする
涼子たちとの間にいさかいが起こる。だがついに、学校内裁判は開廷されることに
なった。柏木卓也が死んだ12月24日。その日にいったい何があったのか?
大出俊次は柏木卓也を殺したのか?検事側も弁護側も、真実を求め奔走する・・・。
さまざまな生徒たちが登場する。そして、さまざまな生徒たちの家族や家庭が描かれる。
神原和彦、大出俊次、野田健一、浅井松子、三宅樹里、そして柏木卓也。彼ら自身や
彼らの家族の描写には読んでいてつらいものがあった。子供を持つ親なら、誰でも
そういう感情を持つのではないだろうか。まだ中学生だ。抱え込んだものが大き過ぎて、
つぶされそうになることもあるのだ。彼らの心の叫びが聞こえてきそうで胸が痛い。
渦巻く悪意の中から、はたして涼子たちは真実をすくい上げることができるのか?
ページをめくる手が止まらない。第V部「法廷」へ!
ソロモンの偽証 第T部 事件
宮部みゆき
☆☆☆☆
12月24日、ひとりの少年が学校の屋上から飛び降り、命を絶った。事件性が
ないことから、14歳の少年の死は自殺だと思われた。だが、匿名の告発状が
状況を一変させる。告発状により次々に広がっていく疑惑の波紋は、やがて大きな
波となり否応無しに周りの人間たちを飲み込んでいった。少年の死には、いったい
どんな真相が隠されているというのか・・・?
柏木卓也の死は、クラスメイトである城東第三中学校2年A組の生徒たちに大きな
衝撃を与えた。自殺!なぜ?さまざまな憶測が飛び交い、さまざまな思惑が入り乱れる。
ひとりの少年の死がいろいろな人たちの運命を変えてしまう。そして、送られてきた
告発状が事態をより深刻なものに変えていく。最初は小さかった悪意が集まり、ねじれる
ように合わさり巨大化していく。誰にも、悪意の連鎖は止められないのか!3年生になった
藤野涼子ら卓也の元クラスメイトたちは、真実を知りたいと願う。だが、学校関係者たちは
必死に体裁を取り繕うのみだった。「大人たちに任せてはおけない!」ついに涼子たちが
行動を起こす・・・。
すごい!!最初から最後まで目が離せない圧倒的な迫力のストーリーだ。
また、数多くの人物が登場するが、作者はひとりひとりを緻密に描写している。彼らの苦悩、怒り、
悲しみ、とまどい・・・多種多様な感情が、読み手の心にダイレクトに伝わってくる。よくこれだけ
ていねいにそれぞれを描けるものだ。この緻密な描写が、この作品をより面白いものにしている。
これからの涼子たちの行動は?第U部「決意」への期待は高まる。
禁断の魔術
東野圭吾
☆☆☆☆
高校の大先輩の湯川を慕い帝都大学に入学した古芝伸吾は、期待に胸を
ふくらませ大学生活をスタートさせた。だが、たったひとりの肉親である
姉の死が彼の運命を大きく変える。姉の死に関わりのある人間に復讐するために
彼が選んだ手段とは?「猛打つ(うつ)」を含む4編を収録。ガリレオシリーズ8。
4編どれもが、ガリレオらしい作品だと感じた。その中でも4編目の「猛打つ(うつ)」は
ダントツに面白かった。姉の死により、ある日突然変わってしまった人生・・・。
古芝伸吾が復讐のために利用しようとしたものを知り、湯川は心を痛める。科学技術は、
使い方を間違えればとてつもなく恐ろしいものを生み出してしまう。「猛打つ(うつ)」の
話の中で、タイトルの持つ深い意味を知ることができる。また、ここには理論に凝り固まった
湯川はいない。科学技術の誤った使い方を正そうとする、そしてひとりの人間を救おうとする、
人間味あふれる熱い心を持った湯川がいるだけだ。彼の心からの叫びには胸を打つものが
あった。ラストは余韻が残るものだったが、これをどう解釈したらいいのだろうか・・・?
ガリレオシリーズはこれで終わりだと囁かれているが、もしこれが事実ならとても残念で
ならない。これからもこのシリーズを読みたいと思うのは私だけではないだろう。
たまには湯川に会わせてくれるよう、作者にお願いしたい。
鍵のない夢を見る
辻村深月
☆☆☆
「りっちゃんだ・・・。」観光バスに乗ったミチルは、バスツアーガイドが小学校時代の
同級生の律子だと知って驚く。ミチルの心に、鮮やかに当時の思い出がよみがえる。
その思い出は、ちょっぴりほろ苦いものだった。「仁志野町の泥棒」を含む5編を収録。
直木賞受賞作品。
「仁志野町の泥棒」は、ミチルと律子の小学校時代の話だ。思い出すと胸が痛むできごとが
あった。だが、それが遠い昔のできごとになってしまったということを、とても印象的に描写
している。小学生の女の子たちの様子もよく描かれていたと思う。作者の独特の感性を感じる
話だ。ほかの4つの話は、どれも、読んでいて閉塞感を感じた。どんなにあがいても逃げ場がない。
暗い穴の中、地面に這いつくばりもがいている、堕ちるだけ堕ちた主人公の姿が見えるよう
だった。本の帯には「岐路に立つ、5人の女たち」とあるが、はたして彼女たちは本当に
岐路に立っているのだろうか?どの方向に進んでも救いがないように思える。読後感もよく
なかった。気持ちが落ち込んでいくようで、後味がとても悪い。私には合わない作品だった。
3652
伊坂幸太郎
☆☆☆
作家伊坂幸太郎は、どのように作家として歩んできたのか?デビューからの10年間を
綴ったエッセイ集。
作品を読んだときと変わらない印象の姿が、ここにはあった。日々の生活の中で起こる
できごと、執筆のこと、家族のこと、どれを読んでも楽しかった。伊坂さんは近寄り
がたい特別な人ではなく、ごくごく身近な人なのだ。とても親しみがわいてくる。
また、どの話を読んでも伊坂さんの温かな人柄が伝わってくる。「作家伊坂幸太郎」が
ますます好きになった。
また、エッセイの下にそのエッセイに対する注釈が書かれているが、注釈つきのエッセイは
珍しいのではないだろうか。当時どういう心境や状況の中で書かれたものかが分かって、
なかなか楽しい。ひとつひとつのエッセイに注釈をつける作業は大変だったことだろう。
作者の心遣いがとてもうれしかった。伊坂ファンなら、ぜひ一度手に取ってみることを
オススメする。新たな魅力発見の可能性大です♪
千年樹
荻原浩
☆☆☆
樹齢1000年と言われているくすの木の大木。その木は、いろいろな人たちの
生と死を見つめてきた。はるか昔の人々から現在の人々までの、さまざまな生きざまを
描いた作品。8編を収録。
おのれに課せられた運命を静かに受け入れ、ただひたすら枝を伸ばし生きてきた木。
そんなくすの木のまわりで、さまざまな人間ドラマが繰り広げられた。いったいくすの
木は何を思っていたのだろう。過去と現在のできごとが、くすの木のまわりで交錯する。
どの話も強烈なインパクトを持って迫ってくるが、そこから感じるのはやるせなさ
ばかりだ。こんな悲しい話ばかりを描いて、作者は読み手に何を訴えようというのか?
人生、そんなにつらいことばかりではないはずなのに。ただただ心が暗くなるばかりで、
読んでいて得るものが何もなかったような気がする。後味の悪さだけが残った。また、
「千年樹」というタイトルが示すような、壮大な時の流れを感じさせる物語を期待していたが、
それがあまり感じられなかったのが残念だった。
そして謎は残った
ヨッヘン・ヘムレブ他
☆☆☆
1924年にエベレストで消息を絶ったマロリー。そのマロリーの遺体が、75年後の
1999年に発見された。古代彫刻のような遺体は、いったい何を物語るのか?伝説の
登山家マロリーの足跡をたどりながら、彼の遺体捜索から発見までの記録を克明に綴った作品。
ノンフィクション。
山というのは、何と厳しい表情を持つものなのだろう。「頂上を目指す者は常に死と隣り
合わせだ。」そう言っても、決して過言ではない。危険の連続だ。なぜ彼らはそれほど
までして山に登るのか?私にはとても理解できない・・・。
この本を開いたとき、目に飛び込んできたのはマロリーの遺体の写真だった。それはかなりの
衝撃だった。衣服がはぎ取られむき出しになった白い肌は、本当に大理石ようだった。また、
凍りついた遺体には、しっかりと筋肉組織もあった。いったい彼に何があったのか?世界で初めて
エベレストの頂上にたどりつけたのか?彼の登山家としての足跡をたどりながら、1999年に
行なわれたマロリー捜索の克明な描写が続く。その中でも、遺体発見の描写は圧巻だった。また、
マロリーの遺品からさまざまなことが検証された。残された酸素ボンベも入念に調べられた。
だが、マロリーが頂上に達したのかどうかはついに分からなかった。いつかこの謎が解き明かされる
ときが来るのだろうか?それとも、謎は謎のままなのか?ロマンを感じる、興味深い作品だった。
天地明察
冲方丁
☆☆☆☆☆
時は4代将軍徳川家綱の時代。正確さを失いつつあった「宣明暦」に代わる
暦が求められていた。改暦を任されたのは、渋川春海という碁打ちの名門に
生まれた男だった。「天」を相手に、春海の長く壮絶な戦いが始まった・・・。
天文学や数学がまだそれほど発達していなかった時代に暦をつくるのは、かなり
大変なことだと思う。気の遠くなるような地道な努力が延々と続く。また、改暦を
快く思っていない者もいる。彼らをどう説得していくべきか、そのことにも心を
砕かなければならない。さまざまな人たちが、本当にさまざまな人たちが、同じこころ
ざしを持ち困難に立ち向かった。一歩ずつ目的に向って歩み続ける春海たち。数々の
紆余曲折を経て、ついにその日は来た!ラストは、本当に感動した。「やったー!」と
思った。あまりの感激に、涙が出そうだった。春海や、春海を支えてくれる人たちの
たゆまぬ努力があればこそ、成し遂げられたことなのだ。現代・・・。天文学、数学、
物理学などずいぶんと発達したけれど、宇宙の神秘的な謎のすべてが解明されるレベルには
至っていない。「天」を相手の戦いは、これからもずっと続いていくことだろう。
長編だけれど長さをまったく感じさせない、さわやかな感動が味わえる面白い作品だった。
オススメです!
誘拐児
翔田寛
☆☆☆☆
戦後の混乱期の昭和21年、5歳の男の子が誘拐された。用意周到な犯人の計画。身代金は
犯人にまんまと奪われてしまう。だが、人質の男の子はついに戻らなかった。そして15年後、
この誘拐事件は衝撃的なできごとで再び姿をあらわすことなったのだが・・・。
昭和36年、良雄は死ぬ間際の母から驚くべきことを聞かされる。「おまえは誘拐された子だ。」
実の母だと信じて疑わなかった良雄は、奈落の底に突き落とされたような絶望感を味わう。
だが、母の遺した言葉の真実性を確かめるために行動を起こす。
良雄は本当に誘拐事件の被害者なのか?犯人は、育ててくれた母なのか?それとも・・・?
昭和36年に起こった殺人事件が15年前に起こった誘拐事件の真相を暴くきっかけとなって
いくのだが、そこに見えてきたのは戦後の混乱期を必死に生き抜いた人たちの姿だった。
小さな、ほんの小さな恨みが、やがて大きな悲劇を生み出す。人間とは、何と愚かで哀れな
生き物なのだろう。過去の事件と現在の事件、登場人物たちの過去と現在、それが微妙に
交錯する。そして、交錯しながら確実に事件の核心に近づいていく。読んでいて納得できない
部分もあったが、その構成は見事だと思う。最後まで読み手を引きつけて離さない、面白い
作品だった。
花宴
あさのあつこ
☆☆
結婚しても、子供ができても、絶対に忘れることができない人がいる。
嵯浪藩勘定奉行西野新左衛門のひとり娘紀江は、結婚後もある男の面影を
追い求めていた。そんな紀江の身辺に不穏な空気が漂い始める。西野家にも
黒い陰が忍び寄っていた・・・。
夫の勝之進には申し訳ないと思いながら、一度は縁談がまとまりかけた相手・三和十之介の
ことを、紀江はいつまでも忘れることができなかった。「妻の心の中には、別の男が
いる・・・。」夫である勝之進が気づかないはずはない。つらい思いを味わっていただろう。
けれど、そういう勝之進の心情が伝わって来ない。根本的に、勝之進という人物
そのものがきちんと描かれていないような気がする。それは他の人物に対しても言える。
人物描写不足が、話を薄っぺらいものにし、感情移入も阻んでいる。紀江という人物にも
好感が持てない。話の設定や展開も目新しさがなく安易だ。ラストの紀江と十之介の描写も
迫力に欠ける。この本の帯には、「夫婦の悲哀を描ききった感涙の時代小説」という言葉が
あったが、正直疑問だ。描ききれていないと思う。感動できず、不満だけが残る作品だった。
ふくわらい
西加奈子
☆☆☆
鳴木戸定の名は、「マルキ・ド・サド」をもじってつけられたものだった。
彼女が幼い頃に母とふくわらいをして遊んだことが、その後の彼女の人生に
強い影響を与えることになる。さらに、特殊な家庭環境が定と「普通の人」たちとの
間に見えない壁を作り出していた。定の進むべき道は・・・?
母とふくわらいをして遊んだことがよほど楽しかったのか、定はふくわらいに
のめりこんでいった。このことと、母の死後に父とともに体験した特異なできごとが、
彼女の人間性に大きな影響を与えた。定は、自分とまわりの人たちとの間に壁があるのを
強く意識するようになる。しかし、彼女はよく分かっていなかったのではないのか。ほかの
人と自分はどこが違うのかを。定は、人を平面的にしか見ていなかった。他人が泣いたり
笑ったり怒ったりするのは、ふくわらいのように、単に目・口・鼻・眉の位置の変化だと
思っていた。そんな定が少しずつだが変わり始める。顔は立体的だということにも気づく。
そんな当たり前のことさえ定は今まで気づかずにいたのだ。人には顔があり、体があり、
心がある。そしてそれらは繋がっている。そのことを知ったときの定の衝撃は大きかった。
この瞬間、定は自分自身を解き放つ。それは、せき止められた水が一気にあふれ出すようだった。
プロレスラーの守口の部屋で定に起こった異変は、彼女が「ヒト」として再生していくための
一歩だったのだ。これからが、彼女の本当に人生なのだと思う。ラストは、うるっときた。
定の光り輝く姿はいじらしくもあり、切なくもあり・・・。不思議な感動を与えてくれる、
異色の作品だった。
クローバー・レイン
大崎梢
☆☆☆☆
家永という作家を家まで送って行った時に偶然見つけた原稿は、彰彦の
心に深い感動を与えた。「これを本にしたい!」だが、現実は甘くなかった。
1冊の本を世の中に出し多くの人に手にとってもらうためには、さまざまな
困難を乗り越えなければならなかった・・・。
作家は、自分が書きたいと思ったことを文章にする。出版社は、それを本にする。
小説を作るということは、そんなに単純なものではなかった。作者の思いが詰まった
文章でも、編集者は作者に書き直しを依頼することがある。そればかりか、最悪は
ボツにすることだってある。本は売れなければならない。作者の思いと出版社の
事情の間で、編集者は毎日身を削るように働いている。彰彦もそんなひとりだ。
自分が気に入ったという理由だけで原稿を本にするなどということは、無謀以外の
何ものでもないことは分かっていた。けれど彼は、自分が心を動かされた小説を
数多くの人に届けるために、数々の困難を乗り越えていく決心をする。彰彦の奮闘は続く。
部署を超えた連携や、ライバルたちや本屋さんの協力を経て、事態が動き始める。
みんな本が好きなのだ。いい本を出すためには、さまざまなしがらみを捨て、境界線をも
取り払ってしまう。そんな人たちの姿に、とても感動した。1冊1冊、それぞれの本に
それぞれのドラマが秘められている・・・。これからは、そんなことを考えながら
本を読んでいきたいと思う。熱い思いが伝わってくる、面白い作品だった。
花のさくら通り
荻原浩
☆☆☆☆
オフィスの家賃の支払いが苦しくなり、郊外に引っ越してきたユニバーサル広告社。
引越し先は、さびれた商店街の中にある和菓子屋の2階だった・・・。「ここの
商店街を何とかしてほしい。」その思いに応えるべく、ユニバーサル広告社の面々が
立ち上がった!「ユニバーサル広告社」シリーズ第3弾。
以前は活気があった街。子供たちの声が聞こえ、商店街もにぎやかで人通りが
絶えなかった。それが今では、住んでいる人も高齢化し、商店街もすっかりさびれ、
シャッターを閉めたままの店が目立つようになった。こういう姿の街が、日本の
あちこちに増えている。この作品に登場するのもそんな街だ。「今までと同じやり方
ではだめだ。新たな有効策を考えなくては!」そう叫んで街の活性化を模索する人々の
前に、その街のぬしのような者たちが立ちはだかる。彼らは、今までのやり方を押し
通そうとする。「商店街全体に危機が迫っているのに、なぜ分からないのだ!」あまりの
頑固さに読んでいてイライラしてくる。ユニバーサル広告社の面々は、さまざまな困難を
乗り越えながら、商店街の活性化のために奔走する。やがて少しずつ人々の意識が変わり
始め、商店街に活気が戻り始める。努力が実を結んだ瞬間は、感動的だった。すぐには
大きく変わらないだろう。でも、一歩ずつ確実に前に進み続けてほしい。読後、そんな
想いが胸にあふれた。人情味あふれるさくら通り商店街が、これからもずっと続きます
ようにと願わずにはいられない。本当に楽しい作品だった。読後感もよかった♪
虚像の道化師
東野圭吾
☆☆☆
教祖の前にいた男が、突然叫び声をあげたかと思うと窓から飛び降りた。
触れることなく人間を転落させることができるのか?草薙は、友人である
物理学者の湯川を訪ねるが・・・。「幻惑す(まどわす)」を含む4編を
収録。ガリレオシリーズ7。
4編のうち「幻惑す(まどわす)」だけが、ガリレオシリーズらしい作品になっている
ように思う。他人には聴こえない声が聴こえることで起こる事件を扱った「心聴る
(きこえる)」もそう思わないでもないが、こちらの話は現実味に欠けるような
気がする。真相が分かっても、「そうか、なるほど!」とは思えなかった。「偽装う
(よそおう)」、「演技る(えんじる)」は、湯川が登場しなくてもよかったのでは?
事件現場や死体の状況からの判断だけではちょっと物足りない。。全体的に、この
シリーズを初めて読んだときのような強烈なインパクトが感じられなかった。作者も
この作品を生み出すのにかなり苦労したと聞く。シリーズも限界?・・・とは思いたくない。
作者にプレッシャーをかけたくはないが、このシリーズまだまだ読みたいと思っている。
なので、東野さん、これからもがんばって書いてください!
鬼
今邑彩
☆☆☆
かくれんぼの鬼になったまま、古井戸に落ちて死んだみっちゃん。
そのみっちゃんが、7歳のときの姿のままでもとの遊び仲間の前に現れた。
かくれんぼはまだ続いていたのだ!みっちゃんに見つかった者たちを待って
いたのは・・・。表題作「鬼」を含む10編を収録。
この作品に登場する人たちは、どこにでもいそうな人たちばかりだ。平凡な日常生活を
送っている。だが、そんな人たちにも突然恐怖が襲いかかる。そこから逃れようと
すればするほど、ますます恐怖に絡め取られていく。読んでいると、一歩間違えば
誰もがそうなってしまうかもしれないと思わされる。本当にぞっとした。恐怖はあちこちに
潜んでいるのだ。平凡な家庭の片隅に、幸せそうな笑顔の陰に、そして温かな心の裏側に。
できればそれに気づかずに、おだやかに毎日を過ごしたいものだ。
じわじわと足元を這い上がってくるような恐怖と考え抜かれたラストが、絶妙のストーリーを
作り上げている。どの話も面白いと思った。でも、決して夜にひとりで読まないように。振り返る
ことができなくなるかもしれない。恐怖が背後から・・・。
なずな
堀江敏幸
☆☆☆
独身の40代の男が、弟夫婦の子供を預かることになった。
生後2ヶ月の女の子なずなとの生活は、未知のことばかりだった。
周りの人たちの協力のもと、菱山は必死に子育てをするのだが・・・。
育児経験のまったくない40代の独身の菱山。ある日突然なずなの育児を
任されることになる。ミルク、おしめの取替え、入浴、散歩などなど・・・。
やるべきことは山のようにある。見も心もくたくたになりながら菱山は奮闘する。
「ああ、赤ちゃんはこうやって大きくなっていくものだったなぁ・・・。」と、
自分の育児経験を思い出した。生後間もない頃は本当に大変だと思う。何が起こるか
分からない。だが、日々成長してく姿を見る喜びは何物にも換え難い。苦労以上の
喜びがある。赤ちゃんは見る全ての人の心を和ませる。赤ちゃんを中心に人の
輪ができていく。赤ちゃんは、不思議な力を持った命のかたまりなのだ。
周りの人たちに支えられながら、そして楽しみながら、菱山は子育てを続けていく。
その姿は実にほほえましい。この作品では、大きな事件など起こらない。ただ普通の
日常生活だけが静かに流れていく。だが、真の大きな感動は、この普通の生活の中にこそ
あるのだと思う。なずなはどんどん大きくなる。成長したなずなと菱山は、いったい
どんな会話をするのだろうか?聞いてみたい。心をほのぼのとさせる、読み応えのある
作品だった。
水の柩
道尾秀介
☆☆☆☆
老舗旅館「河音屋」の長男・逸夫は、退屈な日常生活に飽き飽きしていた。
そんな逸夫に、同級生の敦子が声をかけた。「手紙を書き直して、タイム
カプセルの中に入っている手紙と取り替えない?」彼女はなぜそんなことを
言ったのか?彼女の真意が分からぬまま、逸夫はそれを実行に移すが・・・。
一見、普通に生活している人たち。その人たちの心の奥底には、いったい何が隠されて
いるのだろうか?笑顔の裏に貼り付けられた悲しみ、誰にも言えない秘密、他人には
知られたくない慟哭・・・。生きるということは、つらいことばかりではないはずだ。
なのに、この作品を読んでいると胸が痛くなってくる。逸夫の祖母いくの気持ちや
逸夫の同級生の敦子の苦しみが、鋭い針となって心に突き刺さってくる。「そんなに
自分を押さえつけなくていいんだよ。」いくに、敦子に、そんな言葉をかけてやりたく
なる。だが、人間は弱いばかりではない。どん底から這い上がる強さも持っているはずだ。
さまざまな苦悩や葛藤を乗り越えた者・・・。それらを忘れ去ってしまった者・・・。
どちらの生き方にも切なさが漂う。ラストは、涙がこぼれた。そして、この作品のタイトル
「水の柩」がとても深い意味を持っていることを知った。きらきら光る水面のまぶしさや、
静謐な水底の風景。それらが目に浮かぶようだ。読後も、強い余韻が残った。おだやかで
心に染み入るような感動を与えてくれる、とても面白い作品だった。
サヴァイヴ
近藤史恵
☆☆☆
時には、自分の勝利を捨ててまでやらなければならないことがある・・・。
過酷な自転車レースに賭ける男たちの胸に去来するものはいったい何か?
6編を収録。
勝つことだけを考え、彼らはひたすらペダルを漕ぐ。だが、その重圧に耐え切れ
なくなったとき、思いもよらぬ悲劇が起きることがある。薬物使用、そして死。
いつ誰がそうなってもおかしくないような張り詰めた世界。弱ければ生きていけない。
けれど、強いだけでもこの世界では生きていけない。チームの中でどのように己の
存在を生かすべきか?そのことが重要なポイントになってくる。自分自身の
葛藤もある。そして、他人からのうらみやねたみもある。過酷な世界に身を置く彼ら。
彼らの苦悩や喜びが、読んでいると直接心に伝わってくる。とても迫力のある作品だ。
この作品に登場する白石、伊庭、石尾は、「サクリファイス」の中に登場している。
「サヴァイウ」はその「サクリファイス」のサイドストーリー的な作品になっているので、
先に「サクリファイス」そして「エデン」を読んでから読んだほうが面白みが増すと思う。
三匹のおっさんふたたび
有川浩
☆☆☆☆☆
剣道の達人キヨ、柔道家で居酒屋の元亭主シゲ、機械にかけては天才的なノリ。
あの3人組が帰ってきた!今回も、笑いあり涙ありの人情ドラマが盛りだくさん♪
さて、3人の活躍はいかに?6編+「植物図鑑」クロスオーバー作品「好きだよと
言えずに初恋は、」を収録。
シリーズ1作目も面白いと思ったが、今回は面白さがパワーアップしていた。
平凡でおだやかな生活。ときに、それが破られることもある。3人が遭遇する
できごとも、喜怒哀楽さまざまだ。キヨの息子の妻・貴子のパート先での問題、
シゲのよく行く本屋でのできごと、父親ノリの再婚問題に心が揺れる早苗のこと、
ゴミの不法投棄に奔走する3人、地域の祭に立ちはだかる問題、そしてキヨの妻・
芳江に絡む「偽三匹のおっさん」。どの話も身近に感じすぎて身につまされる。
本当にその通りと、読みながらしっかりとうなずいている自分がいる。
酸いも甘いも噛み分けることができる、三匹のおっさんのような人たちが近所にいて
くれたならどんなにいいだろう。生きているといろいろなことがあるものだ。それを
どう乗り切るかで、そこからの人生観がまるで変わってしまう。彼らがいたなら、
どんなことでもきっとうまく解決してくれるに違いない。
ユーモラスな中にも人生の悲哀がちりばめられ、深い味わいのある作品になっている。
さまざまな問題提起もあり、考えさせられる部分も多々あった。読後感もよく、
読み応えのある面白い作品だった。
くちびるに歌を
中田永一
☆☆☆
長崎県五島列島。この島にある中学校の合唱部は、Nコン出場のため
課題曲の練習を始めた。顧問の先生の産休。女子だけだった部への男子の
突然の入部。さまざまな不安を抱えて、彼らはNコンを無事乗り切れるのか?
産休の松山先生の代わりに来たのは、美人の柏木先生。その先生を目当てに
合唱部に入部する男子生徒。女子だけだった部に、さざ波が立ち始める。
けれど、柏木先生の意向でNコンには混声合唱で出場することになった・・・。
家庭環境、性格、性別、考え方。十人十色というけれど、まさにその通り。
合唱部に、個性豊かな人間が集まった。彼らは、さまざまな問題や悩みを抱え
ながら、Nコンというひとつの目標に向って突き進む。内容的には、目新しい
ものはない。平凡だと思う。その一方で、過剰な演出だと感じる部分があった。
サトルの家庭環境についても、そういう設定にする必要があったのかちょっと
疑問に感じた。けれど、ひとつの目標に向ってみんなが心を合わせていく過程は、
素直に感動した。細かいところは気にせずに、素直な気持ちでこういう作品を
読むのもいいかもしれない。
七人の敵がいる
加納朋子
☆☆☆
毎日バリバリと仕事をこなす陽子。そんな陽子のひとり息子の陽介が
小学校に入学した時から状況は一変する。PTA、学童保育所父母会、
自治会・・・。次々に「役員」という名の仕事が!子供が大きくなり、
少しは楽になるかと思ったら大間違い。親としての大変さを味わうことに
なった。さて、陽子はどうこなしていくのか?
子供が小学校に入学したとたんに、次々にいろいろな役員が!
そういう経験をした人はたくさんいると思う。私もそのひとりだ。
次から次へと、よくもまあこれだけあるものだというくらいたくさん頼まれた。
専業主婦で子供がひとり。役員にはうってつけの人材だったのかもしれない。
専業主婦でも大変な役員の仕事。まして働く人にとってはなおさらだ。けれど、
小学校に通う子供を持つという親の立場は同だと思う。どんな状況であれ、どんな
立場であれ、まったく関わらないというのは問題なような気がする。その点、この
作品に登場する陽子はエライ!その奮闘振りには頭が下がる。要は「やる気」なのだ。
一歩外に出たら七人の敵がいる・・・。それは男性でも女性でも変わりはない。
けれど、闘うだけではだめだ。時には話し合いや和睦も必要だ。次から次へと
押し寄せる「問題」という波を、陽子は何とか乗り切っていく。痛快!
この作品が書かれた時期は、作者の加納さんが大変な病気になったときだと
聞いた。万全ではない体調でよくもまあこれだけの作品を!すごいプロ根性だ!加納さん、
面白い作品をありがとうございます!
(追記・・加納さんの闘病の様子は「無菌病棟より愛をこめて」で。)
アナザーフェイス
堂場瞬一
☆☆☆
首都銀行に勤める男の息子が誘拐された!妻が亡くなり、息子を自分ひとりで
育てていくために捜査一課から総務課に移動していた大友は、元上司の福原から、
事件の捜査に加わり大友の持つ能力を生かすよう指示される。刑事として
父親として、彼の成すべきことはいったい何か?大友の奮闘が始まる・・・。
刑事といえば硬派なイメージが強いが、この作品に登場する大友はちょっと違う。
刑事というよりひとりの父親という感じが強い。大友は、学生時代に芝居を通して
身につけた能力を遺憾なく発揮し、事件解決に向け奔走する。動機は何か?
犯人はいったい何者なのか?巧妙な身代金受け渡しの描写は、手に汗握る緊迫した
ものだった。また、ショックで心を閉ざした者に向ける大友の優しいまなざしが
印象的だった。ゆっくりとていねいに時間をかけ、相手を傷つけることなく
心を開かせていく。その過程も読み応えがあった。幼い息子を抱えながら刑事を
続けていくのは大変なことだと思う。大友はどう乗り切っていくのか?次回作も
期待したい。読みやすく、楽しめる作品だと思う。
ビブリア古書堂の事件手帖3
三上延
☆☆☆☆
戸塚で行われた古書交換会で栞子は「たんぽぽ娘」を入札するが、
あと10円というところで競り負けてしまった。入札したのはヒトリ
書房の井上という白髪の男だった。井上は、失踪した栞子の母と仲が
悪かっただけではなく、栞子にもいい感情を持っていなかった。
その井上が競り落とした「たんぽぽ娘」が何者かに盗まれてしまう。
井上は栞子を犯人扱いするが・・・。3編を収録。
シリーズ3作目では、栞子の母の影が見え隠れする。いったい彼女はどんな
人間なのか?なぜ栞子姉妹をおいて失踪したのか?相変わらずそこのところは
以前謎のままだが、少しずつ見えてきたこともある。栞子がずっと探し続けている本
「クラクラ日記」に隠された秘密も、ようやく分かってきた。読み手である私に
とってはちょっと驚きだった。あ〜〜!!でも、こういう終わり方はないでしょうと
作者に言いたい。今後の展開が気になってしょうがない。三上さん、早く次を!(笑)
本に関する謎解きの面白さも期待通り♪それに栞子の母の謎がプラスされ、より
いっそう面白くなっている。さて、さまざまなできごとを作者はこれからどう収束させて
いくつもりなのか?読者の期待を裏切らないようにお願いしたい。
ヒトリシズカ
誉田哲也
☆☆☆
男が拳銃で撃たれ死亡した。だが、射創には不可解な点があった。
犯人だと思われていた男は犯人ではないのか?現場から走り去った
少女は?シズカというひとりの女性をめぐる物語が始まる・・・。
6編の連作集。
さまざまな事件がおきる。その陰に、人を殺すのに何のためらいもない残虐性を
持つシズカというひとりの女性の姿が見え隠れする。非情な彼女の行動はその生い立ちに
由来するのだが、もともと彼女の中にあったものがあるきっかけで姿を現した・・・
そんな気がする。なぜ彼女は人を殺すのか?彼女の行動にはインパクトがある。
だが、殺人の動機には少々納得できない部分もある。シズカの心情に寄り添うには、
描写不足なのでは?ラストはシズカの意外な面を知ることになったのだが、そこに至る
までの彼女の行動を考えると、今までの彼女のイメージとうまく結びつかなかった。また、
あっさりとこういう結末にしてしまったことに拍子抜けした。あまりにも安易な終わらせ方だ。
プツンと断ち切られたような感じで物足りない。また、最後までシズカという女性の
人物像がぼやけたままで残念だった。
歪笑小説
東野圭吾
☆☆☆
伝説の編集者と呼ばれる男がいた。「どんな仕事ぶりなのだろう?」新人の
青山は、その男獅子取にあこがれを抱く。だが、獅子取の仕事の仕方は
とんでもないものだった・・・。「伝説の男」を含む12編を収録。
作家から原稿を得る。本を作成する。そしてその本を売る。そのどれもが、
本当に大変なことなのだということがひしひしと伝わってくる。作者は登場
人物たちをユーモラスには描いているが、彼らは必死なのだ。食うか食われるか!
弱肉強食の世界に生きている。「自分の出版社の本を売るためなら、どんなこと
でもやってやる!」彼らの悲壮な決意が聞こえてくるようだ。ブラックユーモア
的な話の中にも切ないところがあり、なかなか面白い。作者の本音もたくさん
ちりばめられているような気がする。東野さん、本業界の内幕をこんなに赤裸々に
暴露しちゃっていいの?(笑)12編のほかに「巻末広告」が載せられている。
灸英社の作品だ。それもぜひじっくり読んでもらいたい。登場人物たちのその後が・・・。
ひなこまち
畠中恵
☆☆☆
人形問屋平賀屋が、美しい娘ひとりを雛小町に選び、その面を
手本にして雛人形を作ることになった。さあ大変!江戸中の若い娘は
浮き足立った。ここで大儲けしたのは、娘たちに着物を売る古着屋だった。
だが、悪徳古着屋が現れて・・・。表題作「ひなこまち」を含む5編を収録。
「しゃばけシリーズ」第11弾。
表題作のほかに、人間の欲にまつわるできごとを面白くそしてちょっぴりせつなく
描いた「ろくでなしの船箪笥」、ばくが見た夢からひと騒動起こる「ばくのふだ」、
河童がくれた薬玉で起こる騒動を描いた「さくらがり」、ある夫婦の絆を描いた
「河童の秘薬」がある。それぞれの話は独立しているが、どこかでつながっている。
微妙で絶妙なつながり加減だ。今回も味わいのある話ばかりだったが、少々インパクトが
弱いと感じたのは気のせい?仁吉や佐助の活躍もあまりなかったような気がする。
とはいえ、読んでいて心がほのぼのとするのはいつもの通り♪楽しい作品だった。
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
ウェンディ・ムーア
☆☆☆☆
18世紀の英国に、のちに「近代外科医学の父」と呼ばれる男がいた。
彼の名はジョン・ハンター。「ドリトル先生」や「ジキル博士とハイド氏」の
モデルとも言われている。波乱に満ちた彼の人生とは?
非合法的な方法で死体を確保し、次々に解剖していく。やり方は決して
ほめられたものではないが、解剖により彼はさまざまなことを発見する。
当時は、人間の体の機能はそれほど解明されてはいなかった。また、旧い
考え方や宗教的思想なども医学の発展を妨げていた。ジョン・ハンターが、
旧い体質がはびこる医学界に風穴を開けたといっても過言ではない。そして、
ジョン・ハンターの多くの弟子たちが彼の遺志を次ぎ、医学界をさらに発展
させていく。彼の成したことは大きい。この作品を読めば読むほど、ジョン・
ハンターという人間に魅力を感じる。彼は確かに奇人かもしれない。だが、他人と
同じことばかりやっていても未来への扉は開かれないのだ。そのことを強く感じた。
彼の波乱に満ちた生涯を、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。そして、18世紀の
医学界にこのようなすばらしい人物がいたことを知ってほしい。
仙台ぐらし
伊坂幸太郎
☆☆☆
仙台をこよなく愛し、その地で作家活動をしている伊坂幸太郎。
作家としてではない、ひとりの仙台市民としての顔はいかに?
また、震災で彼が感じたことは・・・?
エッセイは、小説を読んだだけでは分からないその作家の素顔を垣間
見ることができる。時には自意識過剰だったり、時には心配性だったり。
作者の意外な面を発見しながら読んだ。しかし、何気ない日常生活の中から、
あんなすばらしい作品が次々に生み出されたのかと思うと不思議に感じる。
同時に、作家としての並々ならぬ才能に驚かされる。仙台も東日本大震災で
大きな被害を受けた。作者の心にも大きな傷を残した。けれど、このつらい
経験をバネにして、夢や希望や生きる力があふれ出るような、今まで以上に
すばらしい作品をたくさん書いてもらいたい。伊坂さん、これからも応援
します!
ユリゴコロ
沼田まほかる
☆☆☆☆
突然の母の死により、余命いくばくもない父がひとり家に残された。
仕事の都合で父と同居できない亮介は時々父の様子を見に来ていたが、
ある日押し入れの中で数冊のノートを見つけた。そこに書かれていたのは、
衝撃的なできごとだった!
父がいて母がいて弟がいて、そして自分には結婚したいと思う相手がいる。
亮介は、この充実した幸せな生活がこの先もずっと続くと信じていた。だが、
予想もしないできごとが次々と彼を襲った。父の病気、母の死、恋人の失踪。
さらに、父がひとりで暮らす家の押入れから見つけたノートに書かれた衝撃的な
内容!謎めいた手記の描写は圧倒的な迫力だ。ノートに書かれた手記は、亮介が
幼い頃母に抱いた違和感と関係があるのか?現実のできごとといつ交錯するのか?
謎の答えが知りたくて、一気に読んでしまった。ラストに待っていたのは、驚きの
真実だった。まったく予想していなかった。いや、できなかった。ドロドロとした
内容の作品だと思いながら読んでいたが、このラストでそういう思いは吹き飛んで
しまった。こういう愛の形もあるのか!せつない余韻が残る、感動の作品だった。
ツリーハウス
角田光代
☆☆☆☆
祖父の突然の死をきっかけに、良嗣は自分の家族のことを考え始める。
祖父の戸籍に載っている良嗣が知らない名前・・・。そして、過去を語り
たがらない祖母。祖父や祖母の過去にはいったいどんなできごとがあったのか?
祖父も祖母も決して過去を語らなかった。だが、祖父の死をきっかけに、祖母ヤエは
過去を振り返る旅に出る・・・。
藤代泰造と田中ヤエは、戦時中の満州で出会った。だがそこは安住の地ではなかった。
敗戦とともに命からがら日本に戻ったふたりは、生きるために必死に働く。子供が
生まれた。自分たちの店を持った。そして、幸せも不幸もたくさん味わった。
泰造やヤエは、なぜ過去を語らなかったのか?いや、ふたりは語らなかったのではない。
語れなかったのだ。いったいどんな言葉で、思い出すのもつらいこの壮絶な体験を語れると
いうのだろう。戦争、終戦、そして昭和から平成の現代へと移り変わる中での親子三代に
わたる物語は、実に壮大だ。
家族には家族の歴史がある。過去から現代、ずっとつながった家族の絆。そこに自分もいる。
この作品を読むと、その当たり前のことに新鮮な感動を覚える。作者の熱い思いが込められた、
読み応え充分の面白い作品だった。
オーダーメイド殺人クラブ
辻村深月
☆☆☆
学校生活での友だちとのトラブルや母親への絶望感が、アンにひとつのことを
決心させる。「私を殺して!」クラスメートの徳川に、アンは自分殺しを
依頼したのだが・・・。
学校生活や自分の母親に絶望を感じたアンが取った行動は、突飛なものだ。
けれど、アンの年齢を考えると、そういうこともありなのかな〜とちょっと
納得してしまう。昆虫系と称される徳川とふたりで練る殺人計画は、当人たちは
大真面目なのだが、大人の目から見ればちょっと滑稽なものに思える。
この作品では、アンの心理描写はとてもていねいだ。けれど徳川は、何気ない
しぐさや目の動きなどでその心理を知ることはできるが、控えめに描かれて
いる。アンから自分を殺すように頼まれた徳川が、いったい本当のところ何を
考えているのは分からない。しかし、ラストで作者は、今まで抑えてきた分
徳川の思いを実に見事に印象的に描いている。「徳川ってこういう人だったんだ!」
彼の秘められた思いにちょっと感激した。タイトルは物騒だけれど、読後はさわやかな
感動を与えてくれる作品だと思う。
無菌病棟より愛をこめて
加納朋子
☆☆☆
2010年6月、突然「急性白血病」だと宣告された!そこから生きるための
壮絶な戦いが始まった・・・。作家加納朋子が、自分自身の闘病を克明に記録した
命の書。
もし、ある日突然大変な病名を宣告されたら冷静でいられるだろうか?
加納朋子さんのように・・・。彼女は自分の病気と真正面から向き合った。
そして、作家として自分の病気を客観的に見つめ、記録した。深刻さをなるべく
感じさせないような文章になっているが、行間からにじみ出るのは、彼女の生きる
ことへの執念と絶対にあきらめない意志の強さだ。彼女を支えた家族の力も大きかった。
普通に何気なく過ごす日常生活が、いかに大切で貴重な時間であるか!健康で
過ごせることに感謝したい。それと同時に、この先自分の人生にどんな災難が降り
かかっても、決して希望を捨てず前向きに生きていかなければならないと感じた。
加納朋子さん、どんどん元気になって、これからもステキな作品を世にたくさん送り
出してください!待っています♪
6時間後に君は死ぬ
高野和明
☆☆☆
街を歩いていた原田美緒に、突然声をかけてきた青年がいた。
「六時間後に君は死ぬ」
その青年が言ったことは、美緒にはとうてい信じられないもの
だった。だが、未来が見えるという言葉を信じ、美緒は青年とともに
自分を殺そうとする「誰か」を探し始める・・・。表題作を含む6編を
収録。
未来が見える青年佳史。美緒はこのままでは殺されてしまう!ふたりの、
殺人者探しが始まる。運命は変えられるのか?タイムリミットは迫ってくる・・・。
もし生まれたときにその人の運命がもう決まっているとしたら、何だか
人生が味気なくなってしまう。佳史の見る未来のできごとは、何もしなければ
変わらないかもしれない。けれど、努力すれば、がんばれば、わずかでも
変えることが出来るものだと思う。未来には、無数の可能性が散らばっているのだ。
6編は連作になっている。一番印象的だったのは「時の魔法使い」だ。未来は
変えることはできるかもしれないが、過去はもう変えることはできない・・・。
そのことが切なく苦く、心に突き刺さるようだった。それと同時に、明日が
いい日であるということを信じて生きるのも大切なのだと強く感じた。
斬新さはないかもしれないが、どの話も楽しく読めると思う。読後感も悪くなかった。
モルフェウスの領域
海堂尊
☆☆
再発した網膜芽腫の特効薬承認を待つため、14歳の佐々木アツシは5年間の眠りに
ついた。コールドスリープ・・・。アツシを見守る日比野涼子は、少年が目覚めるときに
起こる重大な問題に気がついた。彼を守るために、涼子がとった行動は?
この作品を描いた作者の意図が分からない。この作品を通して何が言いたかったのか?
コールドスリープというとても興味深いものをテーマとしているので期待を持って
読んだのだが、見事に裏切られた。眠っている人間の人権問題をはじめとして、睡眠学習、
記憶の操作など、現実にはあり得ないことがたくさん出てくる。現実味が感じられない。
極めつけは、涼子のとった行動だ。いくら5年間眠っているアツシを見守り続け情が移ったと
しても、あまりにも突飛すぎないだろうか。まったく共感できない。登場人物も、ほかの
作品に登場する人たちがたくさん登場している。それは、リンクしているというより、
使い回しているといった安易な感じだ。自己満足的で中途半端な印象の作品だった。
幽霊殺し(御宿かわせみ5)
平岩弓枝
☆☆☆
死んだ女房が化けて出た!?恐ろしくなった亭主が、障子越しに
脇差で突いてみると・・・。表題作「幽霊殺し」を含む7編を収録。
7編の中では、「三つ橋渡った」が一番印象に残った。盗賊の一味の中にいた娘の、
それまで歩んできた人生があわれだった。「三つ橋渡った」・・・。この言葉の持つ
重要性がよく描かれていたと思う。ラストはホッとした。本当によかったと思う。
そのほかの話も読み応えがあった。「幽霊殺し」では、意外な真相が待っていて
興味深かった。「恋ふたたび」では、ゆがんだ心を持った者の犠牲になった子供が
あわれだった。「奥女中の死」では、ひとりの女の悲しい生涯が胸を打った。「源三郎の
恋」では、源三郎の意外な恋の相手に驚かされた。
この作品を読んでいると、人生というものについて深く考えさせられる。また、欲や
ねたみが、人の心を捻じ曲げてしまう恐ろしさやあわれさも感じた。「人はどう生きる
べきか?」それは、生きている限り考え続けなければならないことなのかもしれない。
これからも、このシリーズを楽しみながらじっくり読んでいきたいと思う。
人質の朗読会
小川洋子
☆☆☆
地球の裏側の名もない村からもたらされたのは、日本から遺跡観光に出かけた
人たちが拉致されたという衝撃的なニュースだった。そして、事件から100日
以上経過したとき、犯人そして人質全員が死亡するという悲劇的な結末が訪れた。
命を落とした人質8人が遺したものとは・・・。
今はすでに亡くなってしまった8人。その8人の声がテープから聞こえてくる。
静謐な時間の中で、それぞれが自分自身のことを冷静に語っている。幼い頃の思い出を
語る人、人生の転機になったできごとを語る人、自分が遭遇した不思議な体験を語る人・・・。
彼らはどんな想いで語っていたのだろう。少しは未来に希望を持っていたのだろうか?
けれど、読み手である私は知っている。朗読している人たちに未来がないことを。いつもの
日常生活に戻れないことを。その過酷な現実が、心に突き刺さってくる。胸が痛い。
彼らがどういう状況下におかれていたのかについては、まったく描写がない。けれど、描写が
ない分、よけいに悲惨さや哀切さが強く伝わってくる。今はいない彼ら。朗読会の声だけが、
彼らの生きていた最後の証だなんて悲しすぎる。人は生きなければだめだ。生きて生きて
生き抜かなければだめなのだ。どんなことがあっても。そのことを強く感じた。「命」に
ついて考えさせられた、余韻が残る作品だった。
ピエタ
大島真寿美
☆☆☆☆
大作曲家でもあり、過去にピエタの司祭でもあったヴィヴァルディが、
ヴェネツィアではなく遠いウィーンで亡くなった。教え子のひとりであった
エミーリアは、行方不明になったヴィヴァルディの1枚の楽譜を追い求める。
その楽譜に隠された謎とは・・・?
捨子養育院でもあり音楽院でもあるピエタ。そして、司祭でもあり音楽教師でも
あったヴィヴァルディ。彼の突然の死は、そこで暮らす彼女たちに大きな動揺を
与える。やがて、1枚の楽譜探しが、いつしかヴィヴァルディの知られざる面を
あらわにしていくのだが・・・。
人は、さまざまな悩みやしがらみを抱えて生きている。裕福で幸せそうに見えても
寂しい心を持った人。才能豊かであっても虚しさを感じながら日々生きている人。
責任ある仕事に就き充実した生活をしていても、親がいないということに深く
傷ついている人などなど・・・。ヴィヴァルディも例外ではなかった。心のどこかに
寂しさや虚しさを抱えていたのだ。彼の死後、次第に明らかになる思いもよらぬ
一面。生きるとは苦悩の連続なのか?喜びもつかの間のできごとでしかないのか?
それでも明日に希望を見出そうと、人々は前へ前へと歩き続ける。その姿は、切ない
までに美しい。
どんなに時が流れても、人の想いは変わることなく受け継がれていくものなのだ。
そのことに、心が震えるような感動を覚えた。深い味わいのある作品だと思う。
ナミヤ雑貨店の奇跡
東野圭吾
☆☆☆☆
今はもう空き家になってしまった店・・・。そんな「ナミヤ雑貨店」に侵入した
幸平、翔太、敦也。そこへシャッターの郵便口から手紙が投入された。差出人は
若い女性で、手紙には相談事が切々と書かれていた。どうやら、以前は店の主が
あらゆる悩みの相談にのっていたらしい。幸平たちは、主の代わりにその悩みの
相談にのることにしたのだが・・・。短編5編を収録。連作集。
シャッターの郵便口から相談の手紙が投入される。そして、返事は牛乳箱に
入れられる。幸平たち3人は、雑貨店の主の代わりに相談者に返事を書く。やがて、
彼らは奇妙なことに気づき始めた・・・。
他に相談できる人がいない、さまざまな悩みを抱えた人たち。彼らはナミヤ雑貨店に
手紙を投入する。やがて、時を超え、この作品に登場する人たちがつながっていく。
あふれる人への想い。大切なものは何か?人はどう生きるべきか?不思議な空間の中で、
さまざまな人間模様が紡ぎ出されていく。その過程は、さすが東野圭吾さん!
ピタリと収まるべきところに収まっていく。ナミヤ雑貨店と丸光園の関係の描き方も
とてもよかった。また、雑貨店の主であった浪屋雄治の人生も、感慨深いものがあった。
ラストは、余韻が残るすばらしいものだった。とても感動的な作品だと思う。
宇宙創成
サイモン・シン
☆☆☆☆☆
「宇宙はビッグバンから始まった。」
今では宇宙創成の常識のように言われているが、そこに至るまでには実に
数多くの人たちの苦労があった。宇宙はいかにして創られたのかという難問に、
果敢に挑んだ人々の感動的な記録物語。
最初は、自分たちの住んでいる地球の大きさも知らなかった。地球が太陽の
周りを回るのか、太陽が地球の周りを回るのかさえ、結論が出なかった。
だが、少しずつ少しずつ、人々は宇宙の謎に迫っていく。そして、科学、数学、
天文学など当時の最高の知識を駆使して、宇宙はいかにして誕生したかを調べ始める。
けれど、科学技術には限界がある。人々が追い求めるものに手が届くためには、恐ろしく
長い時間がかかった。時には意見の対立もあった。しかし、異なる意見の中から思わぬ
真実が発見されることもあった。そのときの驚きや興奮は、読み手である私にも充分
伝わってきた。
また、宇宙創成は無秩序になされたものではない。それは、科学、物理学、数学で
きちんと説明できるものだということにも驚いた。宇宙創成には完全なる理論があった
のだ!
紀元前の宇宙観から現代の宇宙理論までの経緯が、分かりやすく説明されて
いる。登場するさまざまな人たちのエピソードも面白かった。難しくて書かれていること
すべてを完璧に理解できたわけではないが、それでも「一読の価値あり!」と思う。
オススメです♪
山茶花は見た(御宿かわせみ4)
平岩弓枝
☆☆☆
ある娘の証言で盗賊一味が捕まった。だが、盗賊たちは島抜けをした。
「証言した娘が危ない!」娘への仕返しを恐れ、東吾たちは匿うことに
したのだが・・・。表題作「山茶花は見た」を含む8編を収録。
表題作「山茶花は見た」は、人の思い込みを巧みに利用した話だった。
人の言うことを簡単に信じてしまってはいけないのは、今も昔も変わりないの
かもしれない。「女難剣難」では、東吾の友人の源三郎に縁談が持ち上がる。
人の弱みに付け込むような手口には腹立たしさを感じた。利用された源三郎が
哀れだ。「鬼女」は、松本清張の「ゼロの焦点」を思い出させる話だった。
女は怖い!(笑)「ぼてふり安」は、父が自分の幸せを得るために娘を
女郎に売る話だった。当時そういうことがあるとは聞いていたが、やはり
ひどい話だと思う。父に売られたおいちが、幸せな人生を歩めそうでよかった。
いつの世も人の欲望はきりがない。作者の描く人間模様を、これからも
楽しみながら読んでいきたい。
開かせていただき光栄です
皆川博子
☆☆☆☆☆
舞台は18世紀のロンドン。事件は、ダニエル・バートンが開いている私的解剖教室で
起こった。意外な場所から発見された、手足を切断された死体と顔をつぶされた死体・・・。
この事件には、解剖教室のダニエルの弟子と、天才的な詩の才能を持つ少年との友情が、
深く関わっていた。
ダニエル・バートンと5人の弟子たち、そして盲目の判事ジョン・フィールディング、
ジョンの姪で秘書でもあるアン=シャーリー・モア、アンの助手のデニス・アポット・・・。
どの登場人物も個性的で実に緻密に人物描写がなされている。死体はいったい誰か?
彼らはなぜ殺されたのか?そして犯人は?登場人物たちの行動や言動には、さまざまな
伏線があった。二転三転し予想を裏切る展開には、何度もあっと驚かされる。誰が真実を
語っているのか?嘘で固めた真実。真実で固めた嘘。真実と嘘、その境界線はどこにあるのか?
読めば読むほどその面白さに引き込まれていった。やがて、バラバラに散らばっていたものが、
ひとつの点に収束していく。そして、本当に真実と呼べるものが見えたとき、再び驚きが待って
いた!計算され尽くしたしっかりとした構成、そして巧みなストーリー展開は、読み手を充分に
満足させるものだ。読後感も悪くなかった。登場人物の名前と立場を把握するのにちょっと苦労
したが、読み応えのある本当に面白い作品だと思う。オススメです♪
偉大なる、しゅららぼん
万城目学
☆☆☆☆
日出家と棗家。お互い特殊な能力を持つ両家は、長年敵対関係にあった。
そんな両家の人間が高校の同じクラスになったことから、騒動が持ち上がる。
戦いが始まるのか!?だが、敵は思いもよらぬところにいた!
琵琶湖の近くに暮らす日出家と棗家。決して相容れない両家。彼らは戦わなければ
ならない運命なのか?そんな両家の前に新たな敵が現れた!
何という発想力なのだ!琵琶湖を題材に使うとは!しかも、その発想が奇抜で面白い。
読めば読むほど「しゅららぼん」の世界に引き込まれていく。それにしても「音」が
キーワードになるとは・・・。「音」こそが、日出家と棗家の均衡をかろうじて
保たせている。また、登場人物もすごいとしか言いようがない。この個性的な面々を
作者は巧みに作品の中で使いこなしている。
ほかの人が持っていない特殊な力。そういう力を持つ人間はカッコよく見える。けれど、
持っている人間は、人と違うことに悩み苦しむこともあるのだ。力のせいで、大きく
運命を変えられることもある。その切なさも充分伝わってきた。それだけに、ラストへの
展開の仕方は胸に迫るものがあった。お見事!読後もさわやかさが残る。究極の楽しさを
味わいたい方は、ぜひ万城目ワールドへ♪
夢違
恩田陸
☆☆☆☆
夢をデジタル化し、「夢札」として保存することができるようになった。
「夢札」を解析する夢判断を仕事とする浩章は、つねに疑問を抱えていた。
「結衣子は生きているのではないのか?」それを裏付けるような不思議な
できごとが、各地の小学校で起こり始めていた・・・。
小学生の夢札を見続ける浩章。そこに映し出された思いがけないものに
ぎょっとする。いったいそれは夢の中だけのできごとなのか?それとも現実の
世界につながるものなのか?夢と現実。その境界線がしだいに消えていく・・・。
そもそも我々自身は、本当に現実の世界を生きているのだろうか?もしかしたら
この世の中は、脳が見せる幻の世界なのかもしれない。そんなことを考え始めたら
止まらなくなる。それと同時に、言いようのない恐怖に襲われた。この作品を読むと、
自分自身の存在に確信が持てなくなってしまう。どこまでが夢でどこまでが現実なのか?
最後までその疑問に対する答えは得られなかったが、恩田陸の世界を充分に味わう
ことの出来る面白い作品だと思う。
水郷から来た女(御宿かわせみ3)
平岩弓枝
☆☆☆
両替商板倉屋のひとり息子伊之助が、誘拐され殺された。だが、事件は
これだけで終わらなかった。その後も誘拐事件は次々に起こった。探索を
重ねた結果、東吾たちはやっと手がかりをつかんだのだが・・・。表題作
「水郷から来た女」を含む9編を収録。
「水郷から来た女」では、幼い子供たちが次々に犠牲になる。抵抗することが
出来ない幼い者をかどわかし命を奪う。物語とはいえ、そのむごさは読んでいて
つらいものがあった。
「秋の七福神」では、人は見かけによらぬものだということを、つくづく感じさ
せられた。悪人のしたたかさ、いや悪人だからこそのしたたかさには憤りを
感じる。
「桐の花散る」は、一番印象に残った話だった。4つのときに行方知れずになった
娘。そして、その娘を25年もの長い間探し続けた父。娘の人生が哀れで、
ラストはあまりにも切ない・・・。
今回も心に残る話が多かった。今後がますます楽しみなシリーズだ。
江戸の子守唄(御宿かわせみ2)
平岩弓枝
☆☆☆
「かわせみ」の宿泊客が幼い子供をおいて姿を消した。子供は、木綿を染めた
黄色い下着を身に着けていた。そこから紡ぎ出された真実は・・・。表題作
「江戸の子守唄」を含む8編を収録。
表題作「江戸の子守唄」は、大人たちの身勝手な思惑で幼い女の子の運命が翻弄
されるという、なんともやりきれない内容だ。また、お文というその女の子をかわいがる
るいの姿がちょっと切ない。東吾との間に子供でもいれば・・・と思ってしまう。
8編の中で一番印象に残ったのは「迷子石」だ。子を思う親の心。それが哀しい形と
なって現れたことに、胸が痛むような想いを味わった。ラストもつらかった。
「幼なじみ」も、そこに登場する男と女の心情が細やかに描かれていて、考えさせられる
内容だった。
他の話も、江戸に暮らす人たちの喜びや悲しみが心にしみる。じっくりと読ませる、情緒
あふれるいい作品だと思う。
短編復活
アンソロジー
☆☆☆
「小説すばる」創刊15周年を記念して、同誌に掲載された短編小説群から選ばれた
秀作16編を1冊にまとめた本。集英社文庫編集部編。
この本を本屋さんで見たとき、迷わず即買ってしまった。それくらい魅力のある作家さんの
作品がぎゅとっと詰まっている。赤川次郎、浅田次郎、綾辻行人、伊集院静、北方謙三、
椎名誠、篠田節子、志水辰夫、清水義範、高橋克彦、坂東眞砂子、東野圭吾、宮部みゆき、
群ようこ、山本文緒、唯川恵。この顔ぶれを見たら、本好きな人は心を動かされずには
いられないだろう。描かれている作品も多種多様で、本当に楽しめた。未読の作家さんの
作品が読めたのもよかった。この本を読んだのをきっかけに、未読だった作家さんの他の
作品もどんどん読んでみたいと思う。
まるでおもちゃ箱か宝箱のような本だった。「次はいったい何が飛び出すのか?」そんな
ワクワク感も味わえる、満足できる1冊だと思う。
ヒア・カムズ・ザ・サン
有川浩
☆☆☆
出版社で働く真也には不思議な能力があった。それは、品物や場所に残された人の記憶や
想いを感じ取ることができるものだった。ある日彼は、20年ぶりに帰国するという同僚の
カオルの父を迎えるために空港に向う。そこで彼が感じ取ったことは・・・。2編を収録。
ひとつの発想から、まったく違う物語が紡ぎ出されている。それはとても興味深いこと
なのだが、いまひとつ感動にかける。ありふれた物語、ありふれた感動場面。どこか
白々しさを感じてしまう。ぎこちなさ。不自然さ。読んでいてもどこかにそういうものも
感じてしまう。人物像も現実味に欠け、共感できるには至らなかった。のめり込みづらい
作品だと思う。前半の作品よりも、後半の作品により強くそういう感じを抱いた。今まで
読んだ有川作品には感じられなかったものだ。最初にテーマを与えられてから描かれた作品
だからなのだろうか?とはいえ、どちらも父親の娘に対する愛情や、人が人を想う心は
よく表現されていたと思う。読後感は悪くなかった。
舟を編む
三浦しをん
☆☆☆☆
定年まであと2ヶ月と迫った荒木が後継者にと決めたのは、ひとりのまじめ(?)な
青年だった。「辞書を作る!」その青年を中心に、言葉に対し並々ならぬ情熱を
持った者たちが、膨大で気の遠くなるような作業に取りかかった!!
子供の頃から辞書を引くのが大好きだった。辞書は、私の身近にいつもあった。でも、
どんなふうに作られるのかなんて想像もしなかった。地道で根気のいる作業を10数年も
続けなければ、ひとつの辞書は完成しないのだ。また、言葉は生き物なので、完成しても
改定という作業がこの先ずっと続くことになる。見も心も磨り減るような大変な仕事だけれど、
出版社にとってあまり割りのいい仕事ではないことも初めて知った。それでも彼らは辞書
作りに没頭する。それは、小船で大海に、しかも荒れている海に、挑むようなものではないのか。
風雨にさらされ、波にもまれ、彼らはひたすら「完成」という目的地をめざす。こんなに
苦労して作り出される辞書。今までとは違う目で見るようになった。我が家にある辞書も、
より愛しく感じられる。ラストは感動的で、そして泣けた。私も「大渡海」という辞書が
ほしい!手に入れられないのがとても残念でならない。
誰かが足りない
宮下奈都
☆☆☆
レストラン「ハライ」。小さな店だけれど、人々のあこがれの店だ。
「ハライへ行き食事をしよう。」
そう思うさまざまな人たちのエピソード6編を収録。
人は、どんな気持ちのときにレストランで食事をしようと思うだろうか。
うれしいとき、悲しいとき、思い出に浸りたいとき、未来に希望をつなげたいとき、
心豊かになりたいとき、そして、愛する人と楽しい時間を過ごしたいとき・・・。
この作品に登場する人たちの置かれている状況は千差万別だ。けれど、彼らは
ひとつの店をめざす。同じ日に予約を入れる。みんな、どんな顔で「ハライ」を
訪れるのだろう。どんな事情で訪れるにせよ、「ハライ」の料理を食べたらみんな
幸せな気持ちになれるのではないだろうか。ほんのひとときでも幸せな気持ちになれた
なら、その後の人生により希望が持てるのではないだろうか?「ハライ」にはそんな
力があるような気がしてしまう。「ちょっと人生に疲れたときに読むと力を与えてくれる。」
そんな感じの、心温まる作品だと思う。
さゆり
アーサー・ゴールデン
☆☆☆
昭和の初め、家の貧しさゆえ千代はわずか9歳で置屋に売られた。父や母から
遠く離れ、一緒に売られた姉とも離れ離れになり、彼女はひとり厳しい世界を
生き抜いていくことになる・・・。ひとりの女性の数奇な人生を描いた作品。
アメリカ人の男性がこの本を書いたことにかなりびっくりした。
戦前の祇園の様子やしきたり、芸妓になるまでのさまざまな手順など、これほど
リアルに書くことが出来るものなのか!「これはノンフィクションです。」と言われたら、
信じてしまうだろう。それほどリアルだ。
9歳で置屋に売られた千代。花柳界という世界の中で生き残るのは並大抵のことでは
ない。彼女の才覚、運の強さ、彼女を支えてくれた人たち。それらさまざまな要素が、
しだいに彼女を大きく成長させていく。「流されるだけではだめだ。おのれの運命は
おのれ自身の手で切り開かなければ!」そういう彼女自身の意志の強さも、成功者と
なるためには不可欠だったと思う。面白く、そしてさまざまな意味で興味深い作品だった。
錨を上げよ
百田尚樹
☆☆☆
戦後から10年。昭和30年に、又三は大阪下町で生まれた。破天荒な性格は小学生の
頃からで、しばしば両親を悩ませた・・・。
どんなに挫折してもくじけず、おのれの心の命ずるままに生きた男の半生を描いた作品。
私は、主人公又三と同じ時代を生きてきた。新幹線開通、東京オリンピック、高度経済成長、
石油ショック、ロッキード事件、三島由紀夫事件、浅間山荘事件・・・。どれも、又三と同じく
リアルタイムで経験してきた。当時、私や私の周りにいた友人たちは、真剣に自分自身を見つめ、
人生についてもっとまじめに考えていたと思う。だからこそ、彼の生きざまが受け入れられない。
許せない。
何をやらせても中途半端で長続きしない。自分の人生について、心の底から真剣に考えたこと
などない。気に入らないことがあれば相手を殴り暴れまわる。お金を稼ぐためなら、他人の
迷惑になろうが法に触れようがまったくおかまいなし。相手を思いやるという、人としての
根本的なところが欠けている。女性に対してもそうだ。相手に理想を押しつけるが、又三自身の
異性との関係は最悪だ。いったいこんな男の人生のどこに魅力を感じることができるのか。彼の
人生には共感するところがまるでない。今後の又三の生きざまにも、興味を示すことができない。
単行本上下巻あわせて1200ページの大作だが、読後の充実感は全然感じられなかった。さま
ざまな男の人生を読んできたが、怒りしか感じない主人公は初めてだった。
謎解きはディナーのあとで
東川篤哉
☆☆☆
「宝生グループ」総帥のひとり娘である宝生麗子。なに不自由のないお金持ちの
お嬢さんであるはずの彼女の職業は何と!刑事!けれど、次々に起こる難事件を実際に
解決していくのは、執事の影山だった。麗子から状況を聞くだけで、犯人が誰かを
見抜いてしまう。ふたりを待ち受けている難事件とは?6編を収録。
「お嬢様はアホでいらっしゃいますか?」
執事・影山の辛辣な言葉に怒り心頭の麗子だが、事件解決のためにはぐっと我慢する。
麗子の話から犯人を特定する影山。ふたりの掛け合いがユーモラスで面白い。麗子の上司の
風祭も、なかなか個性的だ。しかし、事件の内容はそれほど面白いものではないような
気がする。薄っぺらい。なので、事件の謎を解く影山に対しても、お世辞にも「お見事!」とは
言えない。純粋にミステリーを楽しみたいと思う人には不満かもしれない。それにしても、
麗子にここまで容赦ない言葉を浴びせる影山とはいったい何者?事件以上に、影山の謎が
気にかかる。シリーズの中で、明かされるときがくるのだろうか・・・?
地のはてから
乃南アサ
☆☆☆
父作四郎に連れられ、とわは母つねと兄直一とともに、夜逃げ同然で福島から
北海道に渡った。そこで待っていたのは、過酷な環境だった。冬の寒さに耐え、
登野原一家は北海道で必死に生きていこうとするのだが・・・。
登野原一家が北海道に来た大正の初めは、私の祖父がやはり福島から北海道に来た頃
でもあった。その当時の苦労話を、祖父母から聞いたことがある。北海道の自然は
過酷だ。人間に容赦なしだ。働いても働いても報われることなく、力尽き斃れていく
人たちもいたと聞く。登野原一家も大変な苦労をして生き抜いていくのだが、読んでいて
自然の過酷さが伝わってこない。「開墾の記」という、坂本直行さん(直行の祖父直寛は、
坂本竜馬の甥)が実体験を書いた本があるが、それを読むと開拓の苦労がぐっと迫ってくる。
リアルだ。だが、作者の描く自然の過酷さは、想像の域を脱していない。北海道に生まれ
育った者としては、描写が物足りなく感じる。もし作者が実際に北海道の過酷な自然・・・
特に冬の厳寒期を体験してこの作品を描いたのなら、もっと違った描写になり、とわの
半生記はより感動的なものになったのではないか。作者の情熱が伝わってくる面白い作品
だと思うだけに、とても残念な気がした。
カササギたちの四季
道尾秀介
☆☆☆
友人である華沙々木(かささぎ)に誘われて、「リサイクルショップ・
カササギ」で日暮は働き始めた。ある日、客から買った鳥の形をした
ブロンズ像が放火されるという事件が起きる。ほかに被害はまったくなし!
犯人はいったいどんな目的で犯行に及んだのか・・・。意外な真実が待って
いた。「鵲の橋」を含む4編を収録。
ほかの人から見れば他愛のないことでも、関わりを持つ人にとっては重大事・・・と
いうこともある。そういう日常のほんのささいな、事件と言えるかどうか分からないような
できごとを、華沙々木と日暮は解決していく。軽いタッチで描かれたこの作品は、サクサクと
読み進めることができる。登場人物も個性的で面白い。男ふたりのリサイクルショップ屋に
出入りする菜美という中学生の女の子も、いろいろ事情を抱えているとはいえ、なかなか
愉快なキャラだと思う。
事件解決に並々ならぬ意気込みでのぞむ華沙々木。それを陰で支えなければならない日暮の、
想像や常識を超える苦労。「ここまでするか!」と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。
少々展開に無理があると思うところもあったが、細かいところを抜きにすれば楽しめる
作品だと思う。読後感も悪くなかった。
完全なる首長竜の日
乾緑郎
☆☆☆
自殺未遂を起こし意識不明の状態がもう何年も続いている弟浩市。
姉の淳美は自殺の理由が知りたくて、開発された医療器具「SCインター
フェイス」で浩市とのコンタクトを試みる。だが、そんな淳美の周辺で
不可解なことが起こり始める・・・。第9回「このミステリーがすごい!」
大賞受賞作品。
自分が触れていると思っているものや見えていると思っているものは、果たして
そこに「存在」するのか?いや、「存在」という定義すら疑わしいものに思えてくる。
いったい自分自身の何を信じればいいのか?「現実と仮想」、「生と死」、「肉体と精神」、
それらのものが入り混じり、読んでいるうちに何が「本当」なのかがよく分からなく
なってしまった。ごちゃごちゃし過ぎている。
また、読み始めの段階で、どういう設定なのかが分かってしまった。こういう類の話は
以前にも読んだことがあり、決して目新しいものではない。それでも、どういうふうに
話を展開させるのか期待しながら読んだのだが、新鮮な感動を感じることはできなかった。
ラストも消化不良。この作品で作者が読み手に伝えたかったことは何か?それも見えず、
物足りないもやもやとした思いだけが読後に残った。
オー!ファーザー
伊坂幸太郎
☆☆☆☆
母親1人に父親4人!ほかから見ればびっくり仰天の環境の中で育った
由紀夫は、ごく普通の高校生だった。だが、好むと好まざるとに関わらず、
彼の周辺ではおかしな事件が起きる。やがてその事件は大きな渦となり、
由紀夫を襲うことになるのだが・・・。
軽妙洒脱な描写は、本当に伊坂幸太郎らしい。読んでいてワクワクする。
父親が4人という異常(?)な状況。それすらも「いいなぁ」と思ってしまう。
4人の父親は、それぞれ愛情表現は違うが由紀夫を心の底から愛している。息子と
父親たちの間には、絶対的な信頼関係がある。だからこそ、さまざまなおかしな
事件が起こっても、由紀夫は安心して自分の思うがままに行動できるのではない
だろうか。後半の由紀夫が巻き込まれた事件に対する父親たちの行動はお見事!
その光景が目に浮かぶようだ。作品のあちこちに散らばっている伏線がきれいに
収束していくさまも、作者ならではのテクニックだ。ラストに漂う哀愁も、余韻を
残していてよかった。最初から最後まで、楽しみながら読める作品だと思う。
人生という名の手紙
ダニエル・ゴットリーブ
☆☆☆
30代の頃の事故で四肢麻痺となってしまったダニエル。彼が53歳の
ときに、孫息子が生まれる。だが、たったひとりの孫サムは自閉症だった!
精神分析医、家族療法士でもあるダニエルが、サムに贈ったメッセージ。
生きるということは、楽しいことよりもつらいこと哀しいことの方が多いかもしれない。
だが、心の持ちようで人は人生の困難を乗り越えていくことができるのだ。そのことを
この作品は教えてくれる。サムに当てたメッセージだが、ここに描かれていることは
どんな人にも通じるものがある。
負けてはいけない。どんなものにも立ち向かう強さや勇気を持たなければならない。
そして、まわりのものすべてに対し、感謝の心を持たなければならない。このことを
強く感じた。また、
「さじ1杯分の塩を茶碗1杯の水に溶かして飲むのと泉に溶かして飲むのでは、当たり前
だが味が違う。問題は塩ではない。問題は入れ物なのだ。」
この描写がとても印象に残った。自分がどういう心を持たなければならないのかが、
はっきりとわかる。優しく穏やかな気持ちで書かれた文章は、素直に受け入れることが
できる。
人生についていろいろ考えさせてくれる、感動的な作品だと思う。
それでも彼女は歩き続ける
大島真寿美
☆☆
柚木真喜子。彼女は有名な映画監督になり、そして海外の映画祭で賞を
とった。かつて彼女に関わった6人の女性たちの視点で語られる「柚木真喜子」。
彼女はいったいどんな人生を歩んできたのか?7編を収録。
この作品は、6人の女性から見た「柚木真喜子」を描いている。それぞれ関わり
方がかなり違う。違うからこそ、「柚木真喜子」というひとりの女性の姿が
立体的に、そして鮮やかに浮かび上がってくるはずなのだが、読んでも読んでも
彼女の姿が浮かんでこなかった。6人の歩んできた人生の悲哀ばかりが表に出て
いるような気がする。浮かんでこないので、「柚木真喜子」に感情移入できない。
つかみどころのない曖昧な存在になってしまっている。それがすごくもどかし
かった。描き足りないのではないか?深さがない。感動を呼ぶはずの最終章「リフレ
クション」もいまいちだと思う。面白さを感じないまま読み終わってしまった。満た
されない想いばかりが残る作品だった。
エデン
近藤史恵
☆☆☆☆
今回の舞台は「ツール・ド・フランス」。男たちの熱い闘いが
始まろうとしている。だが、白石誓の所属するチームが存続の危機に!
監督からの理不尽な要求に、誓やチームメイトの心は揺れる。そんな中
ある悲劇が起こった・・・。「サクリファイス」の続編。
「サクリファイス」の続編といっても、この作品を単独で読んでもまったく
差し支えない内容になっている。
それぞれの事情や思惑を抱えながら男たちは疾走する。スポーツは純粋でなけ
ればならないのに、そこに見え隠れするのはねたみや疑惑や不信感だ。さまざまな
困難を乗り越えて、勝利を手にするのはいったい誰か?
「サクリファイス」やこの作品で、自転車ロードレースの魅力知った。本当に
奥が深いと思った。作者の、ロードレースの描写は圧巻だ。選手たちの熱い
闘いが、まるで目の前で繰り広げられているかのように感じられた。手に汗握る
勝負の世界に、自分も完全に引きずり込まれてしまった。ラストも衝撃的だった。
勝つことへの執念が自身を滅ぼすことになろうとは・・・。死ぬか生きるか、食うか
食われるかの、本当に厳しい世界だと思う。
スピーディーな展開で、読み始めからぐいぐい引き込まれる、本当に面白い作品だった。
御宿かわせみ
平岩弓枝
☆☆☆☆
大川端町豊海橋のたもとから少しはずれたところに「かわせみ」は
あった。そこの女主人るいと、恋人神林東吾を軸に、「かわせみ」を
利用する人たちに起こるさまざまな事件を描いた作品。シリーズ1作目。
江戸の世に暮らす庶民の生活が生き生きと描かれていて、心地よく読むことが
できる。「かわせみ」には、実にさまざまな人が投宿する。なので、起こる
事件もさまざまだ。だが、すっきり解決する事件ばかりではない。中には、
「初春の客」のように胸を締めつけられるような結末の話もある。
生きるということは楽しいことばかりではない。つらいこと苦しいこともたくさん
ある。世の中、理不尽なことも多い。この作品の中にもそういうことが描かれている。
だが、「人情」の存在が、やりきれなくなる気持ちに救いを与えてくれる。
人が人を思いやる心を忘れない限り、希望を持ち未来に向って歩き続けられるのでは
ないだろうか。作者の想いがしっかりと詰まっている温かみのある作品で、読後感も
悪くなかった。読み応えのあるいい作品だと思う。
果しなき流れの果に
小松左京
☆☆☆
永遠に砂が落ち続ける砂時計が発見された。それも、白亜紀の地層から。
なぜそんな時代に想像もできないものが存在したのか?N大学の理論物理
研究所の助手の野々村は、研究所の大泉教授とその友人の番匠谷教授とともに
解明に乗り出す。しかし、彼らに危機が迫っていた・・・。
人類が存在しない時代にその砂時計はあった。永遠に砂が落ち続けるという、
常識では考えられない砂時計。それがなぜ白亜紀に存在していたのかという
謎の答えは、実に壮大なドラマの中にあった!時間を超越し、過去も未来も、
今まで私が認識していたのとはまったく違う概念の中にある。過ぎてしまった
時間の中にあるものさえ、確定的ではないのだ。過去があって未来がある。この
作品では逆も言える。未来があるから、流動的な過去がある。いったい確かな
ものはどこにあるのか?いや、そんなものは存在しないのかもしれない。
この作品は1960年代に出版されたが、今まで色あせることなく存在する。
難解だが、スケールの大きな一読の価値のある作品だと思う。
最後に。どんなに人類の科学が発達しても、最後に残るのは「愛」なのではない
だろうか。ラストの描写に、作者の想いが強くこめられているのを感じた。
ビブリア古書堂の事件手帖2
三上延
☆☆☆☆
ビブリア古書堂の店主である栞子が、退院して戻ってきた。まだ慣れていなく
悪戦苦闘する大輔を見守りながら、彼女は再び古書堂を営んでいく。そこに
持ち込まれる本の中には、さまざまなエピソードを持ったものや、持ち主の想いが
詰め込まれたものもあった。大輔と栞子は、本に隠された謎のひとつひとつに迫っていく。
「ビブリア古書堂」シリーズ2。
この作品は、プロローグとエピローグとほか3編から成る。プロローグとエピローグは、
栞子の母に関する話だ。彼女の「クラクラ日記」という本に対する切ない想いに
胸を打たれた。3編の話も、本当に面白い。「時計じかけのオレンジ」という本に
関するエピソードには驚いた。また、「福田定一」「足塚不二雄」の話もよかった。
本の好きな人にとって、本は単なる物ではない。それは時には、その人の人生その
ものになる場合もある。人と本、この関係はドラマチックなものだと思う。
本に隠されたさまざまなエピソードを読み手に伝えてくれるこの作品は、面白い
ばかりではなくとても貴重だと思う。もっともっとこういうエピソードを知りたい
ものだ。このシリーズがこれからもずっと続いてくれることを切に願っている。
ビブリア古書堂の事件手帖
三上延
☆☆☆☆
北鎌倉駅の近くにひっそりとそのお店はあった。「ビブリア古書堂」と
いう名前のその店から出てきた女性に、五浦大輔は興味を抱く。やがて
大輔はその女性、篠川栞子と、祖母が所有していた本がきっかけで知り合う
ことになるのだが・・・。
幼い頃の体験がきっかけで、それまで大好きだった本が読めなくなってしまった
大輔。かなりの読書家で、膨大な本の知識を持つ栞子。ふたりは大輔の祖母が
所有していた本がきっかけで知り合うことになる。祖母が持っていた「夏目漱石
全集」に隠された謎を、栞子はものの見事に解き明かしてみせる。そこには、大輔に
かかわる重大事も・・・。
ほんのわずかな手がかりから、実際に見たわけでもないのに鋭い洞察力や推理力で
真実を探り当てる栞子。その過程は読んでいてワクワクするほど面白い。物事を、
一方的な見方をせず多角的に捉えることがいかに大事か、そんなこともあらためて
考えさせてくれる。プロローグ、エピローグのほかに4編の話が収録されているが、
夏目漱石全集にかかわる話と、太宰治の「晩年」にかかわる話が特に印象に残った。
本好きにはたまらない作品だ思う。
Another
綾辻行人
☆☆☆
夜見山中学3年3組。そこには隠された秘密があった。転校してきた榊原恒一は、
級友たちが何かに怯えているのに気づく。いるのに、いない。いないのに、
いる。いったい何があるというのか?呪いの恐怖が3年3組に迫っていた・・・。
発想が奇抜で面白い。読んでいると、じわりじわりと恐怖の輪が縮まっていく。
人の力ではどうすることもできない「負の力」が、3年3組に関わるすべての
人たちに迫っていくさまは、背筋が寒くなるような気がした。前半は真相がよく
分からずやきもきしながら読んだが、後半のほうはテンポがよかった。ただ、
呪いのきっかけとなる出来事については分かったが、そのことがなぜ3年3組に
災いを及ぼすようになったのかが理解できなかった。ラストも、多少は驚いたが
意外とあっさり終わってしまった感じがする。これで解決?いや、どう考えても
解決には至ってないと思うのだが・・・。文庫本で上下合わせて750ページの
大作だが、すっきりしない終わり方には少々疑問や不満が残る。結局、3年3組は
どうなっちゃうの!?