マ−ク・トウェ−ン(Mark Twain)
「トムソ−ヤの冒険」で有名なアメリカの作家。 「Mark Twain」は蒸気船の安全航路を告げるために 使う言葉で、「水深二尋(すいしんにひろ)」の意味。 水深二尋は約3メ−トル60センチ。 若い頃ミシシッピの水先案内人をしていたので、このかけ声を ペンネ−ムに使った。 本名は、サミュエル・ラングホ−ン・クレメンズ。


  漫才
明治中期に、関西で江州(ごうしゅう)音頭や河内(かわち) 万歳(まんざい)をまねて、正月の街を門付けして掛け合いを やったのが、漫才の起源と言われている。 正月に家を訪れて歌ったり舞ったりする「万歳」の歴史は古く、 奈良時代に唐や隋から伝わった踏歌が変遷したものだとも 言われている。 話芸としての漫才は、大正時代になってから行われた。 現代の漫才になったのは1934(昭和9)年のこと。吉本興業が 「漫才」という表現を作った。 和服ではなく洋服を着て、歌も歌わずしゃべりだけで押し通す 「漫才」は当時としては新鮮なものだった。


  水掛け論
双方が互いに理屈を言い張って、はてしなく争うこと。 狂言に「水掛婿」という作品がある。 農民と婿が、田の水をめぐって口論となり、水や泥をかけあい、 果ては取っ組み合いのけんかになった。娘が仲裁に入ったが、 結局は夫である婿の味方をして、夫婦仲むつまじく帰っていっ た、という話である。この水や泥を掛け合う姿から、水掛け論と いう言葉が生まれた。


  無鉄砲(無手っ法)
無天法(むてんぽう)の転。(次の欄で説明) 理非や前後を顧みず、むやみに事をすること。むこうみず。


  無天法(むてんぽう)
返り点や送り仮名のないように、事がはっきりしないこと。


  もとの木阿弥
いったん良くなったものが、再びもとのつまらないさまにかえる こと。苦心や努力も水泡に帰して、もとの状態にもどってしまう こと。 戦国時代、筒井順昭が病死した時、嗣子順慶がまだ幼かった ので、遺言により、声が順昭に似ていた南都の盲人木阿弥を ほの暗い寝所に置いて、順昭が病気で寝ているように見せか け、順慶が長ずるに及んで、初めて順昭の死を世間に知らせ、 木阿弥はもとの市人になったという故事からきた。